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2009年02月09日

便利さの対価


「サービスには対価がつきもの、対価の裏にサービスが隠れている」ことを、先日秋葉原の店員から学んだ(コラム「カスタム化と標準化」参照)。

 私たちが何かを得るには、必ず対価を払う。多くの場合、対価はお金で支払われる。しかし、視野を広げて鳥の目で捉えると、お金は仲介役(決済の道具)でしかないことに気づく。私たちが払う対価は、楽しさを得るために蓄えた我慢かもしれない。

 科学の進歩により、私たちの生活は便利さを増している。炊事洗濯をはじめ、風呂・冷暖房・電話番・音楽再生など家庭内の多くのことがボタンひとつでできる。とても便利な世の中になった。

 ところで、この便利さの対価は何なのだろう?

 ある方から「便利さにはリスクという対価がある」と教わった。便利さの拡大の裏には、機械が故障した時の不便さの拡大がつきものであるからだ。

 便利さのリスクは、それだけではないのでは?
 もっと大きなリスクが便利さの裏に隠れているのでは?

 胸騒ぎがし、考え始めた。

 便利さが増すにつれ、私たちと家事との関わりは薄れていく。私たちは家事について考える機会を失い、生活の基本について考える力が弱まる。気づくと、目標を見失い、手段に凝るようになっている。

 私たちは、なぜ炊事洗濯をするのか?
 私たちは、なぜ風呂に入るのか?
 私たちは、なぜ音楽を聞くのか?

「考える機会の減少による目標の損失」が、便利さの最大の対価なのかもしれない。過度の便利さの追求は戒めるべきと、自分に言い聞かせた。

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塾 長
(ピカイチ先生)


 このコラムは、メルマガ「ピカイチ生活経営便り」からの抜粋です。
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[2009年]